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弁護士の成り立ち

弁護士の始まり

裁判中に被告人を代弁する職業は、古代ギリシャに存在してします。しかし弁護士制度や資格などがあったわけではありませんでした。
現在の弁護士制度の前身は一般的に、中世の西ヨーロッパ、つまりローマ帝国で発達したと考えられています。当時は、法定外での法律相談を行う弁護士と法廷内での弁論を行う弁護士は、別の職務とされていました。現在の法学部が誕生したのも、中世ヨーロッパであると言われています。

日本における弁護士の始まり

日本では鎌倉時代に、六波羅探題のうち、しゃべりが達者な代官が、御家人を処罰する裁きに臨場し弁論を行うことがあったと記録されています。六波羅探題とは鎌倉幕府の職名で、承久の乱後、六波羅に設置されていました。
公事師(くじし)は、江戸時代に日本で独自に発達したもので、弁護士に類似すると考えられています。公事師とは、訴訟の代行をする職業です。ただしこれは裏稼業で、江戸幕府は公事師を不法な存在であるとして取り締まっていました。
奉行所公認の代書業としては、公事宿(くじやど)がありました。訴訟技術の伝授と代筆が職務だったのですが、公事師のような仕事をしていることもありました。もちろんこうしたことも、取り締まりの対象でした。

明治以降の弁護士制度

明治時代に入ると近代的司法制度が導入され、代言人(だいげんにん)が採用されていました。民事裁判で当事者の代理人を務める職業だったのですが、1882年は刑事裁判でも代言人が活躍しました。1893年に近代的な「弁護士法」が制定され、代言人は廃止。そして、弁護士が誕生します。弁護士試験が実施されましたが、裁判官や検察官を登用する法官の試験とは別に弁護士試験が実施されていていました。
当時の弁護士は司法省(検事正)が監督してしました。さらに弁護士の独占業務は法廷活動に限られていました。しかし1936年の改正により、弁護士の法廷外での法律事務の独占が認められるようになります。

戦後の弁護士制度

戦後、1949年に新しい弁護士法が制定。これにより、弁護士自治、つまり国家権力からの独立性が認められました。さらにこの年、日本弁護士連合会(日弁連)が結成されると、司法試験および司法修習によって裁判官、検察官、弁護士が一元的に選ばれることとなりました。
1900年代末から2000年代初頭にかけて実施された司法制度改革により、司法試験の合格者が大幅に増えました。しかしその一方、裁判官や検察官の採用定員はほとんど増えなかったため、弁護士人口は急増しています。具体的には、弁護士の数はここ10年間で1.5倍に増え、2018年には4万人を超えました。その一方で裁判件数は横ばいです。このため、弁護士の間での営業競争の激化が、近年、問題視されています。

弁護士会の始まり

1893年に弁護士法が施行されると、各都道府県に弁護士会が設置されました。この頃の弁護士会は、同業者の組合のような役割を持っていました。
弁護士会は、日本弁護士連合会(日弁連)や地方ごとの弁護士会連合会と区別するため、「単位弁護士会」(単位会)と呼ぶこともあります。日本における弁護士会は、弁護士法第五章「弁護士会」に定められる弁護士の強制加入団体です。つまり、日本の弁護士は最低1つの弁護士会に必ず所属しなければなりません。
地方裁判所の管轄区域ごとに設立するのが原則で、45の府県庁所在地と札幌・函館・旭川・釧路の各地方裁判所に設けられています。
戦後、1949年に新しい弁護士法が制定されてからは、弁護士法第五章「弁護士会」に弁護士会が定められています。

東京の弁護士会

ところが、東京には現在も3つの弁護士会が存在します。東京弁護士会、第一東京弁護士会、および第二東京弁護士会。これには、次のような歴史的経緯があります。 1893年、東京では試験制度の改定などの影響で、弁護士会員数が急増。東京弁護士会の中での意思統一が困難となり、派閥が形成されました。また、会長選挙も激しさを極めるものとなっていました。
1923年には、東京弁護士会が分裂し、第一東京弁護士会が発足しました。分裂後も東京弁護士会と第一東京弁護士会は対立を続け、1926年、対立を望まない都内の弁護士が第二東京弁護士会を発足しました。

日本弁護士連合会の始まり

日本弁護士連合会(日弁連)は、全国52の弁護士会と個々の弁護士などで構成される連合組織です。1949年に弁護士法第45条から第50条に基づき設立されました。弁護士が権力から独立した自治を行い、職業集団としての弁護士を統括しています。日本では弁護士、あるいは外国事務弁護士として活動する場合、事務所を置く地域の弁護士会を通じて日弁連への登録が義務とされています。

この記事を書いた人:茂田徹郎

1993年より、英ロンドンを拠点にヨーロッパの情勢をガイドブックに寄稿。1999年からは米サン・ノゼに駐在、十誌を越える雑誌に米国情勢のコラムやインタビューなどの記事を寄稿。現在は、東京を拠点とし、フリーランスライターとして活動中。著書に「PRISM事件 世界を監視するプログラムとスノーデンの告発」「グーグル非公式ガイド」がある。